顔画像・川淵三郎の嫁(妻)や子供など家族構成は?年収や経歴、ネットの反応も!

  • 2021年2月11日
  • 2021年2月18日
  • 人物

森喜朗会長の女性蔑視の問題発言により、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長辞任の意向を固めたと報道されておりますね。

そして後任は組織委評議員会議長を務めている川淵三郎氏になるとのことですが、気になるのは川渕氏についてです。

川口三郎氏はサッカー界の発展に尽力された方で、日本バスケットボール協会の立て直しでも実績があり、実際に前回の東京オリンピックではサッカー日本代表としても出場されていることからも会長にはふさわしい方です。

ただ本来なら2020年の夏に行われるはずだった東京オリンピックでは選手村村長を務める予定だったそうですね。

でも、川口三郎氏の嫁(妻)や子供についてや家族構成など、また年収や経歴等も気になります。

そこで今回は「川淵三郎の嫁(妻)や子供など家族構成は?年収や経歴、ネットの反応も!」と題しまして、

  • 川淵三郎の嫁(妻)や子供など家族構成は?
  • 川淵三郎の年収や経歴は?
  • 川淵三郎氏の後任にネットの反応は?

でお送りします。

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川淵三郎の嫁(妻)や子供など家族構成は?

川淵三郎さんは嫁(妻)と娘さん2人の4人家族だそうです。

川淵三郎氏の嫁(妻)の名前は康子さん


出典:朝日新聞デジタル


出典:朝日新聞デジタル

川淵三郎さんの2人の娘さんについては名前や年齢は公表されていませんし、ネット上に情報はありませんでした

ただ、川淵さんと奥様の康子さんは、1962年の12月にご結婚されたそうなので、現在奥様の年齢は川淵三郎氏と同じくらいの80歳前後ではないかと思います。

また、2人の娘さんについてもおそらくは既に50歳くらいになっており、もしかするとお孫さんも成人しているか大きい可能性もありますね。

そしてひ孫もいる可能性もありそうです!

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川淵三郎の年収や経歴は?

日本トップリーグ連携機構の会長を務めている川淵三郎氏の現在の年収は不明なようです。

ただ、川淵三郎氏が日本サッカー協会の会長を務めていた時の年収はおよそ3,000万円だと言われているそうです。

ただ、現在は日本トップリーグ連携機構の会長を務めておりますし、それ以上に年収はありますよね。

憶測ですがこの倍くらいで現在は6,000万円くらいはあるのではないでしょうか?

では、川淵三郎氏の経歴やプロフィールについて見ていきましょう!

川淵三郎のプロフィール

名前:川淵三郎(かわぶち さぶろう)

生年月日:1936年12月3日(84歳)

出身:大阪府高石市

最終学歴:早稲田大学第二商学部商学科

高校:大阪府立三国丘高等学校

愛称:キャプテン、槍のかわぶち

川淵三郎さんは元プロサッカー選手で活躍しており、過去には日本代表、オリンピックの出場歴もあります。

現在は日本トップリーグ連携機構の会長を務めており、9競技12のトップリーグや協会の改革に取り組む活動をされています。

川淵三郎の過去経歴

1958年 日本代表に初選出。関東大学リーグ優勝。
1959年 ローマ五輪アジア予選出場。
1960年 第7回チリW杯アジア予選出場。関東大学リーグ優勝。
1961年 3月、早稲田大学第二商学部商学科卒業後、古河電気工業入社。4月、横浜電線製作所勤務。同社サッカー部でプレー。
1962年 インドネシア・ジャカルタで開催された第4回アジア競技大会に出場。12月、結婚。
1964年 日本代表として東京オリンピック出場、対アルゼンチン戦でゴールを挙げる。
【引退後】

1970年 現役引退(日本代表通算68試合、18得点)。
古河電気工業サッカー部コーチ就任。
1972年 古河電気工業サッカー部監督就任(1975年退任)。
1976年 日本サッカーリーグ常任運営委員就任(1979年退任)。
10月、伸銅事業部第1販売部課長。
1980年6月、LA五輪強化部長に就任。
8月、系列会社「谷商株式会社」の常務取締役に出向。
11月、日本代表監督代行就任。
1981年 日本代表監督退任。
1982年6月、古河電気工業・名古屋支店金属営業部長。
1984年4月、日本サッカー協会強化部長退任。
1988年6月、古河産業へ出向、取締役伸銅品部長。
8月、JSL総務主事就任。
10月、日本サッカー協会理事就任。
1989年6月2日、JFA・プロリーグ委員会委員長就任。
1990年8月、プロリーグ検討委員会委員長就任。
1991年3月、強化委員長、プロリーグ設立準備室長就任。
11月、社団法人日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)設立初代チェアマン就任。
11月、30年勤続した古河電気工業退社。
1993年5月、Jリーグ開幕、国立競技場にて開幕宣言。
1994年5月、日本サッカー協会副会長就任。
6月、W杯日本招致委員会実行副委員就任。
10月、強化委員長退任。
1996年7月、2002年W杯開催準備委員会実行副委員長就任。
1997年12月、2002年FIFAW杯日本組織委員会理事就任。
2002年7月、Jリーグチェアマン退任。
後、日本サッカー協会会長(キャプテン)に就任。
2008年6月、3期6年務めた日本サッカー協会会長を退任、名誉会長に就任。
2010年9月、日本サッカーミュージアム館長に就任。任期は2年。
2011年5月、日本将棋連盟非常勤理事に就任。
2011年6月、東京都教育委員に就任。(2012年11月22日退任)
2012年3月、心の東京革命推進協議会会長に就任。
2012年4月、JFAアカデミー堺スクールマスターに就任。
2012年6月、日本サッカー協会名誉会長を退任し、同最高顧問に就任。
2012年11月、東京都教育委員を退任し、東京都知事選に出馬する猪瀬直樹選挙事務所の選対本部長に就任。
2013年3月、公立大学法人首都大学東京理事長の就任が決まる。任期は、4月1日から4年間。
2015年1月、国際バスケットボール連盟主導で設立された日本バスケットボール協会改革のためのタスクフォース「JAPAN 2024 TASKFORCE」のチェアマンに就任。
2015年4月、一般社団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ理事長に就任。
2015年5月、日本バスケットボール協会会長に就任。
2015年5月、日本トップリーグ連携機構会長に就任。
2016年6月、日本バスケットボール協会会長を退任し、エグゼクティブアドバイザーに就任。
2017年3月、公立大学法人首都大学東京理事長を任期満了で退任。
2018年3月、日本サッカー協会最高顧問を退任し、同相談役に就任。

出典:Wikipedia

川淵三郎氏は自身も日本代表として1964年に東京オリンピックに出場しています。

そして1991年にはJリーグを設立初代チェアマンに。

2019年12月には東京オリンピック・パラリンピック選手村村長に就任しています。

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川淵三郎氏の後任にネットの反応は?

あまり変わらんし
まだオリンピックやろうとしてるとこに恐怖感じる

森氏の後任 川淵三郎氏で調整

賛成!という声もありますが、そもそも東京オリンピックをやろうとしていることに恐怖を感じている方が多数です…

そしてやはり後任の川淵三郎氏の年齢が気になりますよね…

川淵さんが悪いわけではないが、84歳って…
本当にその年齢に達するまで執行できないような仕事なのだろうか。
一般の会社にも言えるが、一回ゼロベースで考えてみた方がいい。
実はもっと若くてもできる仕事だったとなるかもしれない。

引用:ヤフコメ

ご本人は「人生の最後の大役としてベストを尽くしたい」と言っていたようですが、若い方の方が良いと思っている方が本当に多いこと。

川淵三郎氏「森さんの意向をくんで開催に向けて全力を尽くすことはできる。さっきいったように選ばれていないのにこんなこというのはおかしな話。ただみなさんがいるので知らんぷりして帰るわけにはいかないからこう申し上げている。本当はもっとちゃんとした立場に立ったときに話をさせてほしい」

引用:Yahoo!ニュース

まだ正式決定ではないのですが、ご本人もインタビューで発言されました。

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まとめ

今回は「川淵三郎の嫁(妻)や子供など家族構成は?年収や経歴も!」と題しまして、川淵三郎氏の嫁(妻)や子供など家族構成、年収や過去経歴についてまとめてみました。

川淵三郎氏は過去にオリンピック出場経験があり、スポーツの普及にも尽力されていることからも会長としてはふさわしい方です。

困ったときの助っ人イメージの強い川淵氏ですが、情熱もありなぜ今まで名前が出てこなかったのか、なぜ森会長が東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長だったかと考える方は多いようです。

ただ、コロナ禍の状況でまだ東京オリンピックをやろうとしていることに恐怖を感じている方が多く、川淵三郎氏の後任は良くても、年齢的なこともあり、もっと若い方でいなかったのかという声が聞こえてきています。

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