森喜朗会長の女性蔑視の問題発言により、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長後任は、現在組織委評議員会議長を務めている川淵三郎氏になるとのことですが、川淵三郎氏は現在なんと84歳!
今でも素敵なお顔立ちの川淵三郎氏ですが、若い頃は元サッカー選手で現役時代にはサッカー日本代表として前回の1964年の東京オリンピック出場経験もあります。
そこで気になるのは、川淵三郎氏の若い頃の活躍や当時の顔画像(写真)ではないでしょうか?
調べてみると、若い頃もイケメンということも分かりますし、高校時代から大学、現役時代の活躍についても気になりますよね。
そこで今回は「川淵三郎の若い頃の画像がイケメン!高校大学時代から現役時代の活躍まとめ」ということで、
- 川淵三郎の若い頃の画像がイケメン!
- 川淵三郎の幼少期から中学時代
- 川淵三郎の高校大学時代から現役時代の活躍まとめ
でお送りします!
川淵三郎の若い頃の画像がイケメン!
川淵三郎氏の若い頃のイケメン顔画像はこちらです。
出典:Wikipedeia
サッカーの日本代表として1964年には東京オリンピックに出場、対アルゼンチン戦ではゴールも挙げました。
そしてその後は1970年に現役引退しますが、その頃のお写真も素敵です。
1980年11月には日本代表監督代行にも就任していますね。
当時のお写真がこちらとなります。
若い頃から監督時代、とてもモテたでしょうね!
そんな川淵三郎さんの奥様はとても綺麗な方だったでしょう。
詳しくはこちらもどうぞ
川淵三郎の幼少期から中学時代
川淵三郎氏は、1936年12月3日に大阪府泉北郡高石町(現・高石市)にて生まれます。
ご両親のお名前は川渕眞一さんと淑子さんで3男だそうですね。
そして、
1943年 大阪府高石町立高石国民学校に入学。
小4の際に、吉岡たすくさんという方が学校に赴任して来て、演劇の指導を受けたそうです。
そしてその吉岡たすくさんが出演していた「NHKラジオの放送劇」に高校まで出演していたという経歴もお持ちでした。
また、小6の時には劇「海の子」の主人公を務めたと言われております。
当時の画像はこちらで、以下中央が小6の時の川淵三郎さんになります。
その後小学校を卒業してからは、1949年に大阪府高石町立高石中学校に入学し、野球部に所属します。
そして野球では、全大阪大会に出場し、準優勝までしておりました。
こちらの右から2人目が川淵三郎さんです。
ちょっと画像がふるくてわかりにくいですね。
川淵三郎の高校大学時代から現役時代の活躍まとめ
川淵三郎の高校時代の活躍
その後、川淵氏は1952年~1955年に、大阪府立三国丘高校に通い、
1955年7月に三国丘高校・サッカー部に入部します。
そして当時の友人に、「四国の高松で夏にサッカーの大会がある。今サッカー部に入れば四国に行けるぞ。」と言われ、サッカー部に入ったのがサッカー部の入部理由だそうですが、中学では野球をしていたのに高3夏に突然サッカーをし始めたんですね。
三国丘高校は、サッカー強豪校でしたが、日頃練習に参加する部員が10人程で、試合では辞めた部員やサッカーが得意な人を連れて来たりしており、当時のサッカー人気はとても低かったとされています。
そしてサッカー部を退部する為には、当時の先輩に「扁桃線が弱いので医者から過激なスポーツは禁止されてます。」と言いに行くのですが、「おまえ四国に行ったんやから何とか辞めんといてくれ」と懇願されてしまい、サッカーをずるずると続け、次第に面白くなり始めたと言われております。
また、川淵氏はもともと運動神経が良かったので、高校のハンドボール部の新人戦にかり出され、得点を何点も獲得する活躍をされていたと言われておりました。
また、当時のエピソードとして、高校の体育の先生がバンドボール元日本代表でハンドボール部にも声をかけられたが、勧誘されても入らなかったという逸話も残っています。
そして高校3年に全国高校サッカー選手権でベスト8になり、川淵さんは新聞で「超高校級FW」とも記載されました。
川淵三郎の大学時代
川淵三郎氏は元々は地元関西の大阪大学を目指していたと言われていますが、浪人時代はサッカーが好きすぎて、予備校にも行かず、高校に行き毎日後輩とサッカーをしてたそうです。
そして当時浪人時代に指導した後輩が全国大会に出場し、「川渕さんが指導してくれたお陰です。」とまで言われたようですね。
この頃、川淵氏自身も「三国丘クラブ」というチームででプレイし、都市対抗サッカー大阪府予選決勝で大阪サッカークラブに負けてはいますが、大阪サッカークラブの設立者で日本代表だった川本泰三さんから「早稲田大学にぜひ推薦したい」と言われ、早稲田大学志望に変更したと言われています。
大学時代の功績は、
1957年 早稲田大学ア式蹴球部でプレー(同期は、宮本征勝さん)
1957年 大学1年で関東大学リーグで優勝・東西大学決定で関西学院大学選では得点を挙げる活躍をする
1958年 大学2年で日本代表に初選出・関東大学リーグ優勝
1959年 ローマ五輪アジア予選出場
1960年 第7回チリW杯アジア予選出場・関東大学リーグ優勝
大学4年間で、3回優勝を果たす
だそうですね。
残念ながら大学時代の写真はこちらのみです。
その後の経歴はこちら!
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まとめ
今回は、「川淵三郎の若い頃の画像がイケメン!高校大学時代から現役時代の活躍まとめ」と題しまして、川淵三郎氏の若い頃の活躍や幼少期、学生時代について調査してみました。
川淵三郎氏は今でも素敵ですが、若い頃は相当おモテだったのかと感じます。
また、また当時の日本のサッカー人気は低かったということはあるかと思いますが、サッカーを始めたのは意外と遅く、サッカーだけでなく野球が得意で、ハンドボールも声がかかったという逸話がありましたね。
元々運動神経が良く、スポーツ経験も豊富だったことからも、オリンピック組織委員会の会長後任人物としてはふさわしいかと思うのですが、今回の人事変更はどうしても年齢問題や女性がいないかについては問題となっています。
川淵三郎氏はとても有能な方ですが、会長後任人物の決め方にも疑問がありますし、またオリンピックをやろうとしていることにも不安を感じる方がとても多いのです。