鈴木信也(総務省)の経歴や学歴は?大学高校はどこ?wiki風プロフで紹介!

  • 2021年3月17日
  • 2021年3月19日
  • 人物

総務省幹部らによる違法接待問題がずっと話題ですね。

3月15日・16日には東北新社の中島信也社長やNTTの澤田純社長も国会招致されましたが、野党からは厳しい質問が飛び、国民からも批判の声ばかりで納得がいかない回答でした。

また「東北新社」の外資比率が規制対象の20%超えで違法状態だったことに対しては「当時総務省課長だった鈴木信也総合通信基盤局電波部長に面会した」と東北新社の現社長の中島信也氏が発言されたことでも話題でした。

東北新社側は総務省の鈴木信也氏に相談・報告したという主張をしたものの、総務省側は「報告を受けた覚えがない。当時の文書やメモに記録もない」と言い、両者の説明に食い違いが生じているようですね。

そして野党側は鈴木信也氏の参考人招致を求め、与党も容認、しかし当の鈴木信也氏は「記憶はございません」の一点張りです。

この当時総務省課長だった、鈴木信也氏とはどんな方でしょうか

鈴木信也氏の経歴や学歴(大学や高校はどこなのか)やプロフィールなど気になりますよね。

そこで今回は、「鈴木信也(総務省)の経歴や学歴は?大学高校はどこ?wiki風プロフで紹介!」と題しまして、

  • 鈴木信也(総務省)の経歴は?
  • 鈴木信也の学歴!(大学高校はどこ?)
  • 鈴木信也(総務省)wiki風プロフで紹介!
  • 鈴木信也(総務省)へのネットの反応は?

でお送りします。

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鈴木信也(総務省)の経歴は?

鈴木信也(総務省)の経歴については以下にまとめてみました。

1989年 郵政省(現:総務省)入省

1989~1992年 大臣官房人事部管理課(英国ロンドン大学へ留学)

1992~1994年 外務省出向

1994~1996年 放送行政局有線放送課・電気通信局事業政策課

1996~1999年 在香港日本国総領事館

1999~2001年 総合通信基盤局国際協力課

2003~2005年 青森県出向・企画制作部理事

2009~2011年 総合通信基盤局基幹通信課長・消費行政課長

2011~2013年 野村証券(官民交流派遣)

2016年6月17日 放送政策課長情報通信国際戦略局参事官

2017年7月11日 情報流通行政局総務課長

2020年7月20日 官房参事官 電波部長

参考総務省資料先輩からのメッセージ☆キャリアパス・イメージ

鈴木信也氏は大学卒業後、郵政省に入省し、人事部に勤務された後にイギリスロンドン大学に留学して法律学について学んだそうです。

ロンドン大学では、グローバルな雰囲気の中で世界中の学生と法律学について学び、勉学以外でも様々な国の異文化と接することで刺激を受けたそうです。

そしてこの時に一緒に学んだ人と後の香港勤務や日米交渉で再び接点が出てきたと言われています。

イギリスから帰国後は外務省経済協力局に出向し、南アジア地域などの無償支援について担当。

インド・パキスタン・スリランカ・フィリピン・モンゴルなど現地に行き、医療・農業・衛星放送などの援助プロジェクト実施のために相手国政府と実施機関との協議を担当しました。

その後は有線放送課で制度担当係長として、ケーブルテレビの光ファイバー化推進のために法律改正作業を担当。

事業政策課課長補佐としては、日本の情報通信の競争促進・国際競争力強化を目指し、NTTの組織再編を検討するプロジェクトに携わります。

そして、外務省に出向し、香港の総領事館で経済領事として勤務しました。

1997年、イギリスから中国が返還される際には、香港で情報流通信・港湾・航空を担当され、香港返還後も情報通信・交通・金融はハブとして頑張っていた香港政府や企業の人たちと意見交換されたことで、鈴木氏はアグレッシブさを学んだと言われています。

そして香港から帰国した後の鈴木信也さんは、国際協力課・課長補佐としてアジアやアフリカ・南米地域の情報通信分野の国際関係事務を担当しました。

当時、日本初の経済連携協定をシンガポールと結んだのですが、この際に日本政府交渉チームとしてシンガポール政府の情報通信担当官と交渉をしていたのが鈴木信也氏でした。

この際の条約案が合意になった喜びは今でも忘れられない思い出だそうですね。

帰国後は、2003年~2005年に青森県に出向

企画制作部理事として情報通信・市町村財政・統計などを担当していました。

その際は、新技術導入を積極的に推進する県知事の下で、世界でも有数の積雪地域の青森県で、雪道の歩行を支援する「ゆきナビあおもりプロジェクト」の開始に向けての取り組みをします。

次に、2009年~2011年の「総合通信基盤局基幹通信課長・消費行政課長」では、地域におけるワイヤレスブロードバンドの推進、防災ICTのアジア展開に取り組みます。

この時はそれまで鈴木氏が経験された、海外勤務・地方勤務の経験がプラスになったと言われています。

また、消費行政課長として利用者視点に立ち、子どものための安全安心なネット環境整備への取り組みもしていました。

そして2011年の東北震災後は、当時不安をあおるチェーンメールの防止策や、身分証明を持っていない被災地の避難所の方にも契約出来る携帯電話の緊急制度改正でも活躍されています。

その後鈴木信也氏は、2011年~2013年には官民交流派遣で野村證券に出向され、国内営業部門で全国各地の支店営業をサポートする部署に勤務されています。

その際は、他の社員の方と働き以前よりも企業の発送や行動原理・組織文化が理解できるようになったと言われています。

そして2013年7月には、「情報流通行政局・衛星・地域放送課長」になります。

当時、衛星放送とケーブルテレビ行政を担当し、中でも放送分野における地デジ化後のスーパーハイビジョン(4K・8K)に官民一体で取り組んだとされています。

参考:総務省資料先輩からのメッセージ☆キャリアパス・イメージ

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鈴木信也の学歴!(大学高校はどこ?)

鈴木信也氏の学歴は、東京大学法学部の卒業です。

また高校については開成高校ですね。

鈴木信也の学歴

大学:東京大学法学部卒業(1989年)

高校:開成高校卒業

鈴木信也氏の年齢や生年月日については不明ですが、1989年に東大卒業後、同じく1989年に郵政省に入省しています。

もしも東大入学、卒業がストレートですと、現在54歳で、2021年55歳になる年齢でしょうか

もしもストレートに大学入学卒業、入省されていた場合は、鈴木信也さんは1966年生まれかと思います。

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鈴木信也(総務省)をwiki風プロフで紹介!

鈴木信也さんの分かる情報をwiki風プロフィールで紹介します。

名前:鈴木信也(すずき しんや)

生年月日:不明 1966年生まれ?もしくはそれ以降

年齢:55歳前後

出身:千葉県船橋市

鈴木信也(総務省)へのネットの反応は?

鈴木信也さんの「記憶にございません」発言に関してネットの反応を見てみましょう!

鈴木信也氏の「記憶はございません」発言を受け、ネットからは批判の声ばかり聞こえます。

野党側だけでなく国民も納得できるはずはありませんし、鈴木氏の高学歴から認知症の疑いまでかけられ皮肉の声も聞こえますね…

また、鈴木信也氏の表情から、以前の森友問題の際の佐川理財局長の表情を思い出す方もいます。

佐川理財局長とは、元財務省理財局長で元国税庁長官の佐川宣寿氏ですが、嘘をついているのではないかと皆さん思う事は同じで、人間が嘘をつくときの表情まで観察している方も多いようですね…!

また、武田総務大臣が「記憶にございません」と言うように指示をしていた疑いがあるとも言われています。

もしも事実ならば、閣僚から官僚への圧力です。

またまた大問題ですね…

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まとめ

今回は「鈴木信也(総務省)の経歴や学歴は?大学高校はどこ?wiki風プロフで紹介!」と題しまして、総務省の鈴木信也氏の経歴や学歴・プロフィールについてまとめてみました。

鈴木信也氏の学歴は大変優秀な、開成高校と東京大学法学部の出身です。

そして「記憶にはございません」と発言したことで、「政治家以外に官僚までも認知症なのか」と皮肉の声もたくさんですね…

また、総務大臣の武田良太氏が圧力をかけていた疑いも出ていますし、これが事実であるのならば大問題になります。

接待問題がどんどん大きくなってきており、東北新社の外資規制違反だった可能性も出てきてずさんな総務省の体制も明らかですが、圧力疑惑も大問題ですね。

 

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